鬱の暴力性

この記事のタイトルを読んだ者は、病気としてのうつ病が人間の精神に対して如何に悪影響を与えるか、などといった内容をするであろう。

しかし、この記事では漢字「鬱」の暴力性について語っていく。

まず、目を引くのはその画数の多さだ。なんと29画もある。肉=鬱病患者が死刑になって肉加工工場に送られることを示唆している。

次に、その漢字の複雑性についても語っていきたい。パーツが極めて多く、人を不快にさせる見た目をしている。見れば見るほど吐き気がするし、私の脳はこの漢字の理解を拒否している。そもそも、「鹵」や「鬱」に含まれる偽米印の見た目が気持ち悪い。私は、「鹵」という漢字も廃止するべきだと思っていて、「鬱」よりも米印のサイズが大きいため見るだけでじんましんがでてくる。さらに、「鬱」では「缶」が「木」に挟まれているが、これは樹海において一酸化炭素中毒になることによって自殺をする人間のことを示唆しているだろう。

このように、「鬱」という漢字は極めて危険であり、その存在自体が日本の自殺率向上に一役買っていると言えるだろう。よって、私はその簡体化、もしくは廃止を支持する。

受動ポルノにご用心!

'Vanitas vanitatum, dixit Ecclesiastes, et omnia vanitas.'

なんと空しいことか、とコヘレトは言う。すべては空しい、と。

コヘレトの言葉 12:8

 

現代はさまざまな娯楽で溢れている。娯楽によって人々は楽しむと共に時間を浪費していく。特に現代は後に何も残らない虚しい娯楽が多い。

私とて例外ではない。私は恐ろしくなった。私はどれだけの時間を浪費していたのだろうか。

そこで私は自分が何をしていたかを調べることにした。方法は簡単だ。iPhoneのスクリーンタイムを見ればいい。スマホを見ていない時間にしていることはだいたい推測がつくし、大抵は意味のあることをしているから特段調べる必要はないだろう。

 

そこに見えたのは衝撃的な文字。

 

X(旧Twitter) 4時間

 

おれはX(旧Twitter)を1日の1/6も見ていたのか。へえ。それ以上は何も思わなかった。

そのまま私はXのTLの巡回に戻った。しかし何かがおかしい。

おすすめTLを見る。そこでは絵の女性が性行為をしている。最新TLを見る。そこでも絵の女性が性行為をしている。何度TLを更新しても、性行為の洪水が止むことはなかった。

そこで私は思い至った。私は1日4時間ポルノを見ていたのだ。いや、能動的にポルノを見ていたのは1日のうち数分だろうし、別にそれも毎日ではない。しかし、1日に4時間も費やしているX(旧Twitter)にはポルノが洪水のように流れている。まるで受動喫煙のように、受動的にポルノを摂取させられているのだ。

 

これは大変恐ろしいことだ。身が震えた。

 

飽きたのでおわり

iikááh【転載】

 しかし、私は気付く。自分の積み重なったものの薄さに。普段は碩学的な分厚い仮面を被り、ネット上では演じている。しかしどうだろう。成長曲線が早かっただけで、その分増加の逓減は早く訪れる。やがて、自分と比べ数え切れないほどの体験を持った正常値の人間に追い抜かれるのだから。そして、改めて気づいてしまうのだ。最も衒学的な手段である「書くこと」の機会を、この無限大の広さの砂場を与えられたとき、自分自身の中身が空っぽなことに。そして私は考えるのをやめた。phát cuồngしよう。phát cuồngすれば、こんなくだらない、意味のない舞台から逃れられるのだから。

Yeteneksiz adamın makalesi anlamsız, değil mi?

Dil öğrenmek için en iyi tatbikat nedir? Bu sorunun cevabı maksata değiştirilir. Yazma becerisini yükseltmek için en iyi çözüm yazmaktır. O yüzden bu blogda makale yazıyorum.

 

Ancak blogda yazmak istediğim heçbir şey yok. Düşündüğüm şeyleri yazsam bu blogun bana yönelik kötü sözlerle dolacağını düşünüyorum. Bu günlerde ne yeteneksiz olduğumu anladım. Benden başka herkesin Türkçesi çok iyi, ama Türkçem iyi değil. Sadece okuyabilirim ve yazamam, dinleyemem, konuşamam. Türk diliyle yazılan cümleleri okurken sözlüğü kullanmadan okuyamam. Belki siz de farkettiniz ki, bu blog çok kolay türkçede yazılıyor. Ey, ben ne yeteneksizim!

 

'Ben yeteneksizim! Bana yardım edin!' diye demek, anlamlı sonucu doğmaz. Ama ben sadece böyle deyebilirim çünkü çok yeteneksizim. 

 

Bu makale burada bitir çünkü yazdıkça beyinim deli olarım.

ある日の日記

発狂

ある年、彼は発狂していた。正確に言うと、毎日24時間、毎月29日彼は発狂していた。そう、29日というのがミソで、月に1日だけ彼は正気に戻るのである。実に奇妙な現象だが、そうなるとある疑問が湧く。我々から見たら、いつ精神病院送りになってもおかしくない彼の普段の言動が発狂しているように見えるが、実態としては月に1度正気に戻る現象の方が『発狂』なのではないか。

デジタル大辞泉[1]によると、発狂とは「[名](スル)精神に異常をきたすこと。」とある。やはり、我々から見て精神に異常をきたしている状況が標準だと考えた場合、その正気に見える日が発狂なのだろう。私はそう確信した。

その次の年、正気に戻っている日はなくなり彼は1年中発狂しはじめた。その様子は異様に見えて、以前より安定した精神状態と行動を見て取れる。やはり、彼にとっては月に1度の正気こそがストレスであり、それが消滅したことには大きな意味があったのだ。

この文章を読んでいる全ての方も、ぜひ発狂を習慣づけて、精神状態の向上を目指すべきであると考える。

 

参考文献

[1]デジタル大辞泉「発狂」小学館. https://kotobank.jp/word/発狂-602344 2024416日閲覧.

言語の魅力を追求する:自己啓発の旅

 最近日本語が下手になってきていて自分でも頭を抱えています。長文を書く機会にあまりにも恵まれていません。言語は練習あるのみです。これは意識高い系の文章の受け売りでもなんでもなく、自称言語オタクである自分の経験則から感じていることです。なので、文章のサンドボックスがほしいわけです。そう、今日からここはそんな悲しき俺のための砂場となることが決まったわけです。

 

 Minn, għandi nikteb bla Ġappuniż. Din hija ukoll l-intenzjoni tiegħi...,.,.,,...,...,....

 

記事のタイトルはAIにより提案されています。

ということだったのですが、使用するためには300文字以上必要なようです。なのでこの駄文が続いています。